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3月16日(月曜日)

真島先生のお顔には
当時の面影はなく
ただただ涙があふれました。
そして
皆で夜遅くまで
先生の想い出を話しながら
その存在の大きさを
今更ながら再認識して
後悔するばかりです。

チャンスはたくさんありましたが
どうしても今日は
シャッターを押す気になりませんでした。

2004年春から毎日撮影してきた
連続撮影記録も今日で中断。
でもそんなのもいいかなと
思っています。
撮りたい時に撮るのが1鉄ですから。

「プロの写真家は格好良くなければならん」
というのが先生の口癖でした。
オイラの体型じゃ先生のように格好良くはなれないけれど
せめて先生の弟子の一人として
格好いいと言われる生き方をしたいと思います。
明日からまた頑張って鉄道を撮り続けます。

軽井沢にて


中井精也


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コメント

僕も真島さんがお亡くなりになったということを聞いてとてもショックでした。僕が初めて買った写真集は真島さんの写真集でした。真島さんの写真集をはじめて見たときには少なからず衝撃をうけたのは今でも覚えています。それからは真島さんのように人の心を感動させるような鉄道写真が撮りたいという思い一心で写真を撮ってきました。これからも真島さんのような人を感動させるような写真を撮っていきたいと思います。どうか天国で、安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: デジ一 | 2009年3月17日 (火) 00時00分

僕も真島さんがお亡くなりになったということを聞いてとてもショックでした。僕が初めて買った写真集は真島さんの写真集でした。真島さんの写真集をはじめて見たときには少なからず衝撃をうけたのは今でも覚えています。それからは真島さんのように人の心を感動させるような鉄道写真が撮りたいという思い一心で写真を撮ってきました。これからも真島さんのような人を感動させるような写真を撮っていきたいと思います。どうか天国で、安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りいたします。

投稿: デジ一 | 2009年3月17日 (火) 00時00分

2007.11.19 岡山駅でN700系を撮影中の真島さんと助川さんにお会いしました。撮影を終え撤収している最中に、突然子連れのアラフォーのおばさんに声をかけられた真島さんは一瞬びっくりした様子でしたが、感涙にむせぶ私に「見つめること その先をじっと見つめ続けること」とお言葉をかけていただき、その上、家族写真を撮っていただきました。しばらくして送られてきた写真には、私の名刺に刷り込んでいたつたない写真へのおほめの言葉と、励ましのメッセージが添えられていました。宝物になっています。
 この秋、地元の宍道駅100周年、来待駅80周年にあたり、先生や鉄道写真作家協会の皆さんにご協力をいただくべく準備を始めた矢先の訃報でした。残念でなりません。でも富士・はやぶさと同じ日に旅立たれたことは喜んで差し上げなければならないことなんでしょうね。きっと今頃は天国で「あさかぜ」「さくら」「出雲」「富士」「はやぶさ」たちに囲まれて、お好きなお酒を召し上がっていらっしゃることでしょう。
 最後になりましたが、ご冥福をお祈りいたします。

投稿: まつかぜ | 2009年3月17日 (火) 00時26分

中井先生が昨日お書きになられた記事でそのことを知りましたが、本当に突然のことで、信じられず、現実を現実として受け止めることができませんでした。
私は実際に真島先生にお会いしたことはありませんが、数年前、スーパーテレビという番組にご出演されたときに真島先生を知りました。
そのとき、真島先生は本当にお人柄がよく、鉄道写真というものに本当に一直線な印象を強く受けました。
「プロの写真家は格好良くなければならん」というお言葉、ずっしりと重く、偉大なお言葉だと思いました。
突然で本当に悲しいですが、真島先生は天国でも鉄道を追いかけているはずです。天国でもプロの鉄道写真家でい続けていると思います。

私ごとですが、私は中井先生を尊敬し、写真家としてだけでなく人として尊敬しています。

真島先生、安らかにお眠りください。
列車は天国でも待っています。
最後になりましたが、ご冥福をお祈りいたします。

投稿: けんた | 2009年3月17日 (火) 00時51分

真島先生…
我ら鉄道写真を愛する者の憧れでした 早すぎます。 東海道ブルトレの最終日に亡くなられたのも鉄道写真家としての縁のようなものでしょうか?
ご冥福をお祈りします。

投稿: 急行八甲田 | 2009年3月17日 (火) 01時13分

写真が中断したなんて思わないでください。
完璧なものなどこの世にはありません。
人間ですから
中井先生のお言葉で今日も十分つながっています。

真島先生のご冥福をお祈りいたします。

投稿: 鉄郎の父 | 2009年3月17日 (火) 07時12分

私は真島満秀さんの存在を中井先生がお弟子さんであったことから知り、
真島さんの写真や人柄が中井先生に脈々を受け継がれていることも感じでいました。
そして私は中井先生を通して間接的であれ真島さんの影響を受けているのだと日頃から思っていました。
それだけに昨日真島さんの訃報に接し本当に悲しく残念でなりません。
謹んで真島さんのご冥福をお祈り申し上げます。

大事な師匠を失われた中井先生の心中をお察しします。
今日は写真こそ無いですが、列車を前に真島さんを想う先生の姿が美しい風景として見えます。
また心を揺さぶる素敵な鉄道風景の写真を見せてください。

投稿: K次 | 2009年3月17日 (火) 09時50分

こんにちわ、1鉄ブログには初めてコメントさせていただきます。
この記事だけはどうしてもコメントを書かずにはいられませんでした。

自分も先日の1鉄の記事で真島氏の訃報を知りましたが、ショックが大きすぎたのか数分間思考回路が止まりました。
一度もお会いすることができず、残念でなりません。

自分が撮影ポイントハンターになったのは、実は真島氏の影響です。
氏の本の中でこう言う一文がありました。
「お立ち台と呼ばれる場所はたしかに良い場所だが、実はその前後に良い場所が隠れていることがある」
確かに万人受けはしても、必ずしも個人の好みに合うとは限りません。
この言葉のおかげで、撮影ポイントを探し続ける自分がいます。

中井さん、そうですよ、写真撮るのに記録なんて関係ないですよ。
撮りたい時に思うように撮ればいいんですよ。
頑張りすぎて体を壊したらもともこもないですからね。

最後になりましたが、真島満秀氏のご冥福を心からお祈りいたします。
長文、駄文失礼しました。

投稿: SHみやっち | 2009年3月17日 (火) 09時57分

深い自愛の悲しみに篭もった「映像が無い日も
人生には、たくさんは無いか」と
思います
真島満秀氏のご冥福を心からお祈りいたします

  (黙祷)
そして、
中井先生の明日への飛翔を期待します

投稿: ぽっぽや | 2009年3月17日 (火) 11時54分

真島先生さま
今まで素敵な鉄道写真をありがとうございました
気が付くと真島先生の作品が載っている本が部屋を埋めてました。
俗に言う「型式写真」ではなく、風景の中の鉄道を撮る作品はとても暖かく、または自然の厳しさを表してました。
きっと、中井先生始め同門の皆様が、真島先生の意志を引き継いでくれる事でしょう。
中井先生頑張って下さいね!
真島満秀先生の
ご冥福を心からお祈りしてます。

投稿: のむのむ | 2009年3月17日 (火) 12時14分

真島先生とは、10数年前に酒の席でご一緒させていただいたことがありました。先生と直にお会いしたのは、結果的にその時が最初で最後になってしまいました。

あれだけのネームバリューがあるお方なのに、おいらのような「小僧」にも気さくに接してくれて、明るく、豪放磊落。たくさんのお弟子さんに愛されているのがわかるような気がしました。

その酒の席のことを思い出しながら、冥福をお祈りしたいと思います。


投稿: kihayuni | 2009年3月17日 (火) 12時48分

掲示板に付記しましたので、ここでは止めようと思いましたが、
みなさまの、真島先生への思いをかんがみて、また書きたくなってしまいました。僕は中井先生の昨日の記事を見るまでは、真島先生のことは、
全然知りませんでした。

鉄道写真と言えば中井先生がすぐに、頭をよぎるほどその存在は大きい
ものでした。その中井先生にも、またお師匠さんがいたとは、実際の
処驚いているところです。一日一鉄を完成させて行くということは
並大抵のものではないと承知をしています。
僕がブログを毎日更新しようと誓ったとしても、絶対に出来るものではありません。それを中井先生は365日完投してるんですから、このような、訃報が出来た場合など、気にせずお休みしても、何ら恥じるものでもないと思います。

そして中断と言わず画像がなくても、鉄道写真の親である真島先生の
思いを記事として語ってくれたことに、友愛の深い感銘を頂きました。
これからも、ますます、お元気で真島先生の分まで素敵な鉄道に関する
写真を見せてください。

最後に、真島先生の光跡に対して深い哀悼の意を表明いたします。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: デジカメやっちゃん | 2009年3月17日 (火) 15時58分

師匠がご逝去されてのショックは十分に推測致します。でも、師匠の屍を超えて飛躍することが、何よりの供養でしょう。この先はより苦しくなるでしようが、それを超えた中井さんの姿に期待致します。

投稿: 西村鉄翁 | 2009年3月17日 (火) 17時23分

僕にとっても間島さんはまさに「師匠」のような存在でした。

特に間島さんは、フィルムにこだわって、デジタル先進時代になってもEOS 1V-HSなどで撮っていると、拝見しました。
しかも、形式写真はほとんどなく、風景がおおく取り入れられていることに感動しました。

これからも、間島さんの意思を引き継ぎ中井さんのご活躍を期待するとともに、間島さんのご冥福をお祈りいたします。

投稿: こまごめ | 2009年3月17日 (火) 22時00分

黙祷
大師匠がお亡くなりになりました。
その作風を受け継いでおられるのが、
師匠だと思います。
作風を受け継ぎ発展させることが、
師匠の仕事であり、それが最善の供養だと思います。


投稿: まさ | 2009年3月17日 (火) 22時17分

 中井先生の心中をお察し致します 1鉄の写真が無くても このブログから私の心の中へ ひしひしと映像が伝わってきます 中井先生がんばって下さい

 真島先生のご冥福を心からお祈りいたします

投稿: ふみ | 2009年3月17日 (火) 22時18分

真島先生の訃報、大変ショックでした。
私にとって、真島先生といえば、青春18切符のポスターでした。
あの、世界観はきっと中井さんたちが、きっと受け継いでくれると、信じております!!
素晴らしい写真を多く撮ることが、一番のご供養となると思いますので、これからも、素晴らしい写真を期待しています!!

最後に真島先生、私たちに数々の素晴らしい写真、ありがとうございました、謹んでご冥福をお祈りします。

投稿: ONTHERAD | 2009年3月17日 (火) 22時20分

 真島先生が急死されて、私もびっくりしました。鉄道写真を撮る人であれば、誰もが真島先生の作品を見たことがあると思います。迫力さがあり、やさしさもある。まさに、芸術だと思いました。3年前、テレビで東海道線の113系が置き換えになるのに伴い、根府川で撮影され、インタビューを受けている場面を見ました。そのときの真島先生は子供のような笑顔が印象的でした。本当に鉄道写真が好きなんだなと思いました。
 真島先生の同じ写真を撮るのは不可能ですが、少しでも、先生のような迫力さややさしさを感じる作品を撮っていきたいと思います。
 中井様も真島先生の精神を引き継ぐことだと思います。しばらくは辛いかもしれませんが頑張ってください。
 真島先生。すばらしい作品をありがとうございました。謹んで、ご冥福をお祈りします。
 

投稿: 所沢ライオンズ | 2009年3月18日 (水) 00時51分

私は現在45歳になる鉄道写真が三度の食事よりも好きな男です。私がまだ24歳の頃、真島満秀先生の存在を知り、当時フジテレビのスーパータイムの中で放送された真島先生と猪井先生の撮影旅の10分程度の内容を録画して現在までビデオテープが擦り切れる程、敬愛しながら見てきました。1鉄道写真ファンの拙い私ですが真島先生のご逝去は大変にショックです。‥いつの日か先生にお会いしてみたい、、ずっと胸の内に秘めておりましたが、もう叶わないのかと思っただけで残念でなりません。中井精也さんのホームページも良く拝見させて頂いておりますが気を落とさず毎日素敵なお写真を撮り続けてください。私も真島先生のお撮りになられた素敵なお写真を胸に、これからも鉄道写真を撮り続けていきます。それが先生への鎮魂の追悼回向になると信じております。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: 鉄路の彼方 | 2009年3月18日 (水) 18時45分

 中井様始めまして、真島さんの大ファンだった者です。急逝はとてもショックした。まだまだお若いと思っていたのですが…病気は本当に怖いです。
そういえば、真島さんは俳優の「原田大二郎」さんとご親友ですよね。以前、真島さんのWeb日記上に記されているのを思い出して、原田さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/daijirou_harada/
も拝見しました。読んでいるうちに胸が熱くなって…。
真島さん、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
そして、中井さんの更なるご活躍も期待しております。

投稿: 真島さんに憧れていた男 | 2009年3月19日 (木) 22時58分

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