3月31日(土曜日)
明日4月1日から
いよいよ三陸鉄道北リアス線の
陸中野田〜田野畑が復旧します。
よかった。
本当によかった。
これまでの区間とは違い、
被害の大きかった地域のまっただなかを列車は走ります。
車窓風景も、きれいなだけではありません。
でもそういう風景に目をそむけるのではなく、
できるだけ多くのかたに
さんてつに乗っていただき、
見て、感じてほしいと思います。
物見遊山で被災地を見るなんてけしからん
なんて意見もあると思いますが、
無関心で忘れてしまうより、
こういう事実があったことを見て
考えることも大事なのかなと、
僕は考えています。
被災した風景を撮影しても
これまではあまり発表しませんでしたが、
今日はあえてこの1枚を選びました。
ぼくたちは簡単に瓦礫・ガレキと言ってしまうけれど、
ここに写っているものは、
誰かが楽しい気持ちで選んだ冷蔵庫だったり、
誰かが命をかけて建てた家の一部だったり、
かけがえのない想い出の残骸です。
いまは見上げるほど高く積まれているけど、
やがて処分が進み、この山が姿を消すころには
新しく、よりすばらしい想い出が
心のなかに積もっているといいな。
そんなことを想いながら、シャッターを押しました。
(北リアス線/陸中野田〜野田玉川)
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コメント
先生こんばんは。
おっしゃる通りで、私たちが恐れるものは、あの災害が過去の物となって風化してしまう事なんです。忘れないで欲しい。あの日、起きた事を。
瓦礫の山は、幸せな生活の変わり果てた姿。
あの日出来事は歴史に残る災害です。
一度自分の目で見た方が良いと、沿岸の友人が言って居ました。
まだまだ大変だと思うけれど、少しづつでも前へ進めたら。
そう思います。
投稿: 傾寄者 | 2012年3月31日 (土) 23時49分
すごい写真ですね。
言葉を失いました。
投稿: yamabushi | 2012年4月 1日 (日) 00時42分
地震の、津波の被害に見舞われた土地へ、
何度か足を運び、様々なものを見てきました。
忘れられない光景と言えば、
津波の直撃を受けたある駅のそばで、高い木の梢から下まで
おびただしい数の衣類がからまっているのを自分は見ました。
周囲のあちこちの家で干していた洗濯物だったのか。
あるいは津波の犠牲になった方が身にまとっていたものなのか。
それすら定かではありません。
でも、自分は怖くてシャッターを切れなかった。
写真を撮るということへの覚悟が足りないんだ、ということを思い知らされました。
桜の咲く頃、また足を運ぼうと思っています。
投稿: タンク☆マン | 2012年4月 1日 (日) 00時52分
写真が伝える現実。どこを切り取るかで伝える角度がかわる。現実をしっかり受け止めそして子に孫に語り伝える為にも忘れてはいけない。今一度そんな想いを強くさせて下さいました。板きれ一枚にも生活の証。誰かが生きていた証。だから目を背けずしっかり心に焼き付けておきます。
投稿: 8620KONI | 2012年4月 1日 (日) 00時56分
現地に足を運んだことのない私としては、写真で切り取られた被災地しか見ることしかできませんでした。
まだこんなにたくさんの瓦礫があるのですね。
これでは復興も進まないと、この写真を見ると痛感してしまいます。
たしかに震災関係の話題が徐々に少なくなっていくうちに、我々は忘れかけているのかもしれません。
あらためて被災地がまだ復興にはほど遠いことを知らされた思いです。
今こそ全国の市町村が協力しなくてはならないのでしょうが、なかなか前に進まないのがつらいです・・・
投稿: ナナママ | 2012年4月 1日 (日) 01時17分
こんばんは。
数年前に三陸鉄道を旅したときに、乗った列車の運転士さんは、沿線のこと、鉄道のこと、様々な話を聞かせてくださいました。
2011年の大震災から早1年が経ち、しかし気づけば、なかなか思うように進まない復興、という現実に直面しています。
鉄道が、この地域の復興を先導する象徴となっていくことを願ってやみません。
そして、多くの人が、復旧した鉄道を生活の交通手段として、日常を取り戻していけますように。
投稿: 風旅記 | 2012年4月 1日 (日) 02時01分
先生が、また三陸に来ていると知り、久慈周辺に行きたかったのですが、体調不良で行けませんでした。
オイラも写真を撮っていますが、思いもしないような写真です。そしてコメントに、「そうだよな」と涙がでました。
投稿: koshi | 2012年4月 1日 (日) 02時27分
なんて書いたらいいか、わからないと思うほどナーバスな作品(?)ですね。でも今日から田野畑まで列車が走ることは喜ばしいこと。陰と陽が対比してるとでも言った方がよいのでしょうか?でも地元の方のご苦労察します。
投稿: とら | 2012年4月 1日 (日) 05時07分
1年たって目をそむけずに見ることができるようになりました。
いままでいろんな思いが交錯してみることができませんでした。
なにもできない自分、なにもしていない自分が申し訳なかった。
よみがえった三鉄はそんな自分を導いてくれます。
祈ることしかできないかもしれないけど。
投稿: KOINOBORI | 2012年4月 1日 (日) 05時45分
そうなんです。これが現実なのです
震災直後はこんなものでは済みませんでした
地元なので震災から今まで見てきましたが
やっと今の状態までできた。って状態です。
復興は今からが本番で今からが踏ん張る時です
三鉄が復興して頑張ろうと思う人がいればいいと思います
前線復興が待ち遠しいです
投稿: なお | 2012年4月 1日 (日) 07時52分
「がれき」という言葉遣いにずっと抵抗を感じていました。先生のおっしゃる通りだと思います。画面右上に覗く、前照灯を煌煌と輝かせたサンテツの姿が、東北復興の力強いシンボルに見えます。メッセージ性に富んだ強い写真だと思いました。
投稿: たなばた | 2012年4月 1日 (日) 09時07分
でも、列車は存在する、逞しいです!
投稿: tooooru | 2012年4月 1日 (日) 10時09分
事実をしっかり受け止め
しっかり残していくっていう意味において
中井さんの一枚一枚の写真というのは
とても大切な記録になってきますよね
投稿: munixyu | 2012年4月 1日 (日) 13時07分
いつも拝見させていただいていますが、コメントは2回目です。
この一枚を撮れるのは中井さんしかいません。
私は素人ですが、中井さんのカメラマンとしての構図、
そこに見えない文章、感動です。
投稿: ハムリンズ | 2012年4月 1日 (日) 19時34分
この写真にも表現されてますが、まだまだ大変ですが、希望に向かって走っているように見えます。
投稿: ibuki | 2012年4月 1日 (日) 20時58分
昨年12/30の京急以来の投稿です! あれからBS-TBSでにっぽん鉄道写真の旅を楽しみに見てました! 秩父鉄道三峰口駅前の福島屋さんにも二度行きました! おかみさんは中井さんのカレンダーが欲しいと言ってました!(先日のニッポン放送にもそうメールしたんですけど)(笑)
それから・・・DREAM TRAIN のDVD見ましたよ! 本当に・・・中井精也さんファンの暖かさに大泣きしちゃいました(ToT)/~~~
またトークショーに参加させて頂きますのでヨロシクお願い致します。
いつもの公園で待ってるんですけど会えないな~(ToT)/~~~
それから・・・中井さんのおっしゃる通り・・・ガレキではなく人の財産だった物なんです!
投稿: 渡辺 | 2012年4月 1日 (日) 22時03分
中井先生、いつも素敵な写真と想いを頂きありがとうございます。
毎日拝見している写真は、私にとって先生の様に表現したい憧れと感動を頂く”聖書”的な存在です。今までカッコよく、また美しく、感動を伝えた同じカメラやレンズで、決して忘れてはいけない風景にピントを合わせシャッターを押すことは非常につらいものがあったと思います。
私にはそんな勇気はありません。
復旧し走る三陸鉄道の姿は、東北の方々の生き様や、私達が何をしなければならないのか、中井先生が代表して教えて頂いていると思いました。
投稿: かしくん | 2012年4月 1日 (日) 23時15分
昨年5月に2週間ほど現地で復興支援を行いました。
「とにかく見てきてくれ。言葉が出ないから」といわれて、
実際にみた、石巻、釜石、大船渡。
あの時見た光景は、忘れません。
そして、そんなガレキだけを撮ったのではなく、列車がある写真。
「そうだ、まだこれからなんだ。」と決意をしました。
東北で済む方々のためにも、私たちは目の前のことに全力を尽くすべき。
それが東北を救う力となると思っています。
投稿: フライマン | 2012年4月 1日 (日) 23時22分
ナイーブな話題になるかもしれないけれど、あえて言うなら多くの人がこの光景、現実を見て感じて、これらの瓦礫(瓦礫と一くくりにするのも申し訳ないのですが)の処理をあちこちで引き受けなければいけないのだと感じる人が増えなければいけないのだと思います。
復興にはそれが必要なのだろうと思います。
私の住む市では反対意見がクローズアップされ、首長も及び腰です。
でもそれじゃ解決しないと思うんですよね…
投稿: | 2012年4月 1日 (日) 23時23分
さんてつ関係者の皆さんの努力、素晴らしい。
いっこうに復興が進まぬ街の人たちにどれだけ希望の光となっているか。
投稿: パパカメラ | 2012年4月 3日 (火) 13時46分
先生のおっしゃるとおりです。
先生の言葉にはまったくの同感で涙がでました。
私もかねがね「瓦礫」とはいえ、今まで幸せに生活していた環境そのもの。生活そのものだったと思っていました。
そういうものの処分を受入れられないと問題にもなっていて、悲しい思いをしていました。
絆という言葉は形だけのものだったのかと・・・
はやく日本中で受入られればと願っています。
まして明日は我が身かもしれないのですから・・・
共に前を向いて歩くことを学ばなければ。
今回の経験を無駄にしないように。
投稿: トシ | 2012年4月 3日 (火) 22時38分